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目が覚めると 僕はベッドの上で上半身だけを起こしていた 映画で見るような目覚め方だ そして多分に漏れず 悪夢を見ていたらしい
まだ夜が明けきっていない薄暗がりの中 隣を見るとイノが寝ていた
彼女のことをイノと呼ぶようになってどのくらい経ったのかを思い返した そしてそれはいつもより早いのか遅いのかも
僕は自分の恋人をイノと呼ぶようにしている いつか付き合った相手の名前を間違えてこっぴどく叱られてから くだらないことでもめたくないと思ってそうすることにした
そう名前なんてくだらないこと 僕は名前を覚えられないのだ より正確に言うなら覚える気がないのだろう
イノという名は僕が初めて付き合った相手の名前だったかもしれないし 叱られた相手だったのかもしれない たまたま手にした本に出てきた名前だったのか もうそれすら覚えていない
相手にイノと呼ぶことを了承してもらうためにはいくつか手順がある 付き合ってから気を許せるようになること そして僕が誠実な人間であると思いこませること 決して名前を覚えられないもしくは名前を覚えるのが面倒という印象を与えてはならない
その次は相手の実際の名前によるのだけれど 実際の名前がユイナだった場合 これはとても楽だ 最初はユイナと呼ぶが イナ イノ と変えていけばいい
けれどもそううまくいくとは限らない なぜなら世の女性の名前はイノに近くない方が多いからだ
その時は 君を特別な名前で呼んであげたい とか何かしらの理由をつける
イノシシみたいで嫌よ と言われても
イノというのはいの一番に君が好きだということを表している つまり僕の人生において君が一番なんだよ とか
僕はきっと君のことをイノさんと呼ぶだろう イノサンとはフランス語で「純真」を表すから君にこそふさわしい名前だ とか
いくつか僕も納得させられるような手駒をもっている これまでそうやってきたのだ
そして今僕の隣で寝息を立てているイノまで イノの歴史は延々と続くのだけれど 隣のイノは少し変わっていた
僕がイノと呼んでいいか聞くと それなら交換条件で私もあなたのことをエンドーと呼ぶわ と言った
僕は自分の名前にもこだわりがなかったので 了承した 僕と同じというわけではないだろうが 昔に付き合っていた男の名前が遠藤だったとか エンドウ豆が好きなのかと 何かしらあるのだろう
けれど彼女がどうしてイノなのと聞いてこなかったので 僕も聞こうとはしなかった
きっと彼女がイノになってから2週間くらいだろう そんなことをぼんやりと思っている 夜がさらに明けて隣で寝ているイノの姿がよりはっきりとしてきた 寝ていると思っていたイノは僕の方をじっと見ていた 僕が微笑みながらどうしたのと首をかしげるとイノが言った
「寝ている相手の首をしめると楽に殺せると思っていたけれど やっぱり無理ね」
はじめ何を言ってるのか意味が分からなかったけれど 僕は苦しくて目が覚めたことを思い出した 悪夢じゃなかったのだ
「イノ?」
「実は私あなたと付き合うの初めてじゃないのよ さて私は何番目のイノだったでしょう? あなたは全く思い出せないでしょうけれど でもそんなことはどうでもいいわ 私がどうしてあなたのことをエンド-と呼んでいたか分かる? 私と付き合ってあなたの人生が終わりってこと ジ・エンドよ」
そういうと彼女は隠しもっていたナイフを僕の胸に突き立てた
そして僕は全てのイノを失ったのだった
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